0 1分 7年

チャラリ~ じゃ、ねぇんだよっ!

 

日本じゃ嘉門達夫さんの「鼻から牛乳」  のおかげで?
この「トッカータとフーガ」を聴くと日本人は
ㇷ゚プっ クスっ
っとなるんだけど
怒涛の超技法難曲が始まる合図なんですよ!

笑ってる場合じゃねぇ!

胸を高鳴らせろ!

一音も聞き逃すな!しかと傾聴せよ!

 

自分はJ.S.バッハの曲は皆 好きなんだけど
嫌いな人って、そうそういないと思うんだよね
日本じゃ、結構な頻度でゲームやテレビなんかからバッハ風の曲って流れてくるし
聴きなじみがあるというか
J.S.バッハの曲って学校の教科書みたいに”基本”が詰まってるって感じ

自分の中のイメージでは
モーツァルトやベートーヴェンは”天才”
J.S.バッハは”秀才”ってイメージかな

J.S.バッハの曲は聴いてると
閃きで作曲してる感じじゃなくて
確かな音楽技法と知識の過程から生み出された音楽だと思うんだよね

J.S.バッハの規則正しい音楽の中には
一つのミスも許されないような緻密な設計図が組み込まれてるんじゃないかって思うよ
(実際、使える音階を制限したり、音楽理論を研究、発展させ
計算しながら作曲していた)

 

それもそのはず
音楽家計に生まれ
音楽と宗教に深い愛を持って接し続けた彼の人生は

ホントに生まれてから死ぬまで音楽と信仰に向き合い
先祖たちの精錬された音楽ノウハウを受け継いで
弛まぬ努力の果てに
名曲を後世に残してきた

だからなのか
J.S.バッハの曲は

天才が
“創り挙げた”曲
という感じじゃなく

神に捧げた音楽、神の為
“造り上げた”曲
という感じが自分の中にあるんですよね

 

彼の曲からはやはり
音楽に対しての真摯さが伝わってきます

 

 

じゃあ、分かりやすいバッハ作曲の
宗教曲を紹介しろって話なんでしょうけどね・・・

僕ぁ 声高らかに
バッハの代表曲が
ちゃらり~鼻から牛~乳~
ではないと言いたい

そもそも鼻から牛乳は嘉門達夫さんの代表曲ですやん

これを機にちゃんと「トッカータとフーガ」を聴いてほしかった・・・

 

ちなみに「トッカータとフーガ BWV565」って?

 

「トッカータとフーガ」って曲名は実は音楽形式の名称なんですよ
意味的には非常に早く技巧的で
音楽理論を元に
主のメロディーと
それを模した色んなヴァージョンのメロディーで彩った遁走曲でっせ
という意味です

かみ砕いたらこんな感じ?かな

BWV(べーぶぇーふぉあ)
Bach Werke Verzeichnis(バッハ・ヴェルケ・フェアツァイヒニス)
日本語に直すと
「バッハ作品主題目録」

つまりBWV565の意味は

バッハ作曲で
作品番号565番のオルガン曲

っていう意味
ちなみにBWVはジャンル分けされていて
525から771はオルガン曲です

 

バッハ先生!感動しました!

 

バッハは言った
「私はよく研究しました。同じくらい熱心にやれば、誰でも私のようにできるでしょう」

素晴らしい!なんというか努力家の発言って感じっすよね

音楽研究に対する功績といったらもう
ほんとバッハ様様ですよ

教育者としても有能だったらしいですからね
宮廷楽長だった事もあるし、生徒の為の練習曲として作曲した物も多々あるんですよ

でも音楽に対しての情熱が強すぎて
結構指導は厳しかったみたい
怒った生徒から殴り掛かられたこともあったとか
市参事会と対立する事も
今でこそ
バッハというと「作曲家」という扱いだが
作曲家としての評価はバッハの死後なんですよね

バッハは生前、
それこそオルガニストや教育者として有名だった

オルガニストとしては
多くの逸話が残されており
神童と謳われたルイ・マルシャンと対戦することになった時
バッハの演奏技術に恐れをなしマルシャンは対戦当日に逃げてしまったとかなんとか

バッハ自身も自分の事は
「作曲家」ではなく「教育者」つまり、音楽によって神の摂理を伝える神の仲介者だと自負していた

何度も美味しい!

最初に
自分が
クラシック音楽というのを認識したのが
小学生になったばかりの頃で
体育館の中で演奏されていたバッハの曲だった

あの頃の自分には
音楽という物を知らず
自分から音楽を聴くという習慣もなかった

学校の行事で強制的に聴かされた音楽だったが
えらく感動したのを今でも覚えている

聴いたその日の内に
いてもたってもいられなくて
体育館で聴いた音楽の入ってるCDを探しに
自転車を濃いで遠出をした

まあ、遠出と言っても小学低学年にとってはだが
あの頃は
CDショップの存在も知らなかったので

前に家族とホームセンターで買い物をしていた時に
ワゴンの中にCDが沢山おいてあるのを見ていたので
とりあえずホームセンターに向かった

今思うと、ほんとアホだが
その時はバッハのCDを買いに行ったのに
「バッハ」という名前を知らなかった

一枚一枚違うCDに衝撃を受けたものだ・・・

こんなにあるのかよって

しかも、体育館で聴いた曲の題名を調べる術も無い

それに何枚もCDを買うお金も無い

 

とりあえず
1,000円ぐらいの
クラシックっぽいジャケットのCDをワゴンの中から探して買ったのだった

完全に博打

ホントにアホな小学生だ

 

しかし、ワーグナーのワルキューレの騎行だった

 

その時思った
え、違くね?

そりょうそうさ、バッハの厳かな雰囲気で
ペダルトーンの繰り返しに惚れ惚れしていたのに

”ワルキューレの騎行”って楽劇じゃーん!

激しいじゃーん!
かすりもしなかったよね
曲調・・・

地獄の黙示録でワルキューレの騎行じゃなくバッハが流れてたら
違和感しかないよね

クラシックっちゃあクラシックだけど
つまり真逆のCDを引き当てたんだよね

 

ま、ワーグナーも悪くないけどね

 

ちなみに何年後かに
体育館で聴いた曲は
「小フーガ ト短調」だと知った・・・

 

 

じゃあ、「トッカータとフーガ」じゃのうて
「小フーガ ト短調」を紹介しろって話だよね

 

 

いいじゃないか

「トッカータとフーガ」のヘッドバンするぐらい激しくて
後半になるにつれて
「来るぞっ!」て感じの繰り返しの構成がエクスタシーなのだよ

 

話戻るけど
音楽理論を少し分かってから
「トッカータとフーガ」を聴くと、また違った美しさを感じる事ができると思います

 

是非、BGMとして聞き流すのではなく
一音一音、彼の計算された音楽を考えながら聞いてみてほしい
それもまた一興だと思います

 

 


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