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行く着く先は「体罰」なのか

”その娘、武蔵 3巻”より

 

最近(2017年5月)某高校のバレー部の体罰?ではないかという練習風景がネットに流れ波紋を呼んだ
これは、今でこそ情報の共有が身近になった為、「全国的な問題」として扱われたのだが

一昔前は、よく見る光景でもあった

そういう教育を乗り切ってきた方たちからすれば
確かに今の子ども達は、忍耐がなく
なんでもかんでも「体罰」としてしまう軟弱さが際立って見えるのだろう

 

“その娘、武蔵 3巻”より

 

だけど、そんな事はない

 

たかだか数十年で忍耐力が失われ、人間は退化したのだろうか?

いや、人間が大地に立って以来、

そんな早く進化(退化)した話など聞いたことがない

 

だから、自分がそんな時代を過ごしたからと言って

何かを勝ち誇ったように、子ども達を侮蔑してはいけない

 

今の子ども達も、昔の子ども達も、何も変わらない

今はただ、周りに「逃げる」ためのツールが増えただけだ

 

そして、逃げ道がある事は、実はとても重要なことだ

しかし、試合で勝つという目標を掲げた時、
「逃げ道」は悪となる

 

試合とは怖いものだ。
緊張という言葉だけでは片づけられない。

 

一回の失敗が今後の人生に影を落としかねない」

 

「あの時、ああすれば良かった」

 

「もし、・・・なぜ・・・」

 

一つの判断ミスで

ずっと、後悔をし続ける
それは、経験してきた大人だから知っている

 

だから、同じ思いをさせない為、大人は子ども達に教える

 

ツラければツラいほど、人間は目先の楽な方を選びがちになってしまう事

”その娘、武蔵 3巻”より

 

 

しかしツラい経験をしていなければ、

不測の事態になったときや、追い込まれたときに対応できないのも事実

 

試合で過ちを犯さないように「逃げ道」・・・「甘え」を一つづつ潰していくには

どうしたらいい?

 

そう、 「厳しい指導だ」

指導者にとっては、それが子どもの為の「正義」なのである

 

 

部活という条件下では

運動部に多々としてある事だが

自分の限界値、成長速度は各々違うもの

しかし、同じ年代の集まった部活では

「一つの」集合体、つまりチーム

チームを勝たせなければいけない指導者にとっては
一人一人に付きっきる事はできない

 

 

”その娘、武蔵 3巻”より

実働時間が限られている高校生活では

「チーム」の底上げは時間が足りなすぎる

つまり必然として

一人一人が「濃密な」練習を積まなければならなくなってくる

だが「個人」の底上げなんて、各自の意志力に任せるしかなくなってしまう

なのに、だ

己の力だけで限界を超える事はほぼ不可能である

なぜなら、生物である以上は命に危険をもたらせないから

限界を超えようとしても、無意識下で危険だと判断してしまったらブレーキがかかる

しかし、だからなのか、

ここで全体像(チーム)を見ている指導者にとって

現状のチームと

 

自分の思い描く理想のチームの過程に焦りを感じてしまう


 

”その娘、武蔵 3巻”より

指導者がアドレナリンが出て興奮状態になりやすい部活の条件下において

 

「体罰」に対して冷静に見れないばかりか

「勝つチーム」のため、「子ども個人」のためという大義名分が

一種の催眠状態のように指導者に「体罰」と「厳しい指導」との間の垣根を

 

非常に曖昧にさせてしまうのだろう

その娘、武蔵

 

”その娘、武蔵 1巻”より

物語は体躯に恵まれ・将来を嘱望せれている天才「武蔵」のバレー辞めます宣言から始まる

武蔵は全中を優勝しながらも、高校でまでバレーを必死にしなければならない意味を見つけられずにいた

 

そんな武蔵が進学した高校は、川渡先生の「体罰問題」からバレー部が瓦解した大仙高校

 

しかし、バレー無しの生活を謳歌しようとしていた矢先

バレー部の復活の為に奔走している「律」に声を掛けられる

 

利己的な律の勧誘に頑なに入部を固辞する武蔵だったが、

律の挑発により入部をかけて一つの”勝負”をすることになる

 

 

 

スポーツの残酷さ

 

“その娘、武蔵 2巻”より

この作品に「深み」を与えてくれているのが
主人公の武蔵ではなく

チームの中心の律でも、体罰の被害者の珠緒でもなく

はたまた、教師たちでもない

 

この作品に絶妙なバランスで「深み」を与えているのが

友人の影響とイケメンの甘言で、初心者なのに軽い気持ちで部活を始めてしまった「るな」だと思う

実は、この「るな」

作品上ではバレーの才能があるという描写があるわけでもなく

平々凡々、完全に脇役である

 

しかし、この作品は「体罰」が鍵になっているのだが
完全に被害者でも加害者でもない第三者の「るな」が話に加わっていることで
読者は置いてきぼりにされず感情移入がしやすくなっている

 

この作品は
対比の構図が素晴らしく

 

体罰のあった当時と 今

 

答えの出している律と 答えの出てない武蔵

天才と凡人

”その娘、武蔵 2巻”より

 

 

体罰していた教師の光と影の顔

 

などなど絵の表現から心理描写まで

細やかに描かれているのだが

 

その中でもやはり、

試合の前後の対比で

第三者である「るな」の葛藤が胸に刺さる

 

 

また、当時の練習を否定していた部長の律が
当時の顧問と同じようにヒートアップし

「るな」に苦しみを与えてしまっている姿が

“その娘、武蔵 2巻”より

勝つため
強いチームを作るためにとはいえ 同じ轍を

知らず知らずに踏んでいく「律」に

指導の線引きというものに再認識させられ、ぎょっとする

 

バレー初心者で迷惑をかけるからチームを離れたい「るな」

しかし辞めれば、バレー部の存続できなくなる部員数問題がある

辞めたら辞めたでチームに迷惑をかけてしまう「るな」

“その娘、武蔵 2巻”より

 

 

厳しい指導の危うさを示しながら

凡人である「るな」が話の中心に来た時

足を止めて読者達は、この話の根源のスポーツに対しての「考え」を
見つめなおさしてくれる

 

この「るな」には感動をしてしまった

 

 

あくまで主人公たち子どもの視点なので
あまり指導者としての苦悩は語られてはいないが

 

 

この作品にでてくる川渡先生・体罰教師の考えも理解はできる

””その娘、武蔵 3巻”より”

彼の言動から

指導者が、子ども達に対して覚えるもどかしさ

強豪でいるプレッシャーなども
理解できるのだ

 

この作品の素晴らしさは

絶対的に悪い「体罰」をしてしまった教師を

作品内で完全な悪者にしなかった事だ

 

ゆえに

「体罰」の悪性さを真摯に向き合わせてくれるのかもしれない

 

 

 

ジャンル・・・・学園バレー・ヒューマンドラマ漫画
おすすめ層・・・運動部所属の女子高校生
出版社・・・・・講談社
連載雑誌・・・・ITAN
連載開始・・・・?

 

 

 

 

補足説明

 

キャラクターはさっくりとしすぎてて物足りなさを感じる

 

ストーリーは全3巻なのでしょうがないが、読者としてはもっと続けてほしかった

 

基礎画力はスポーツを題材にするだけあって、しっかり一人一人描き分けている印象

 

漫画絵の完成度は何の違和感もなく読めた

 

演出力は完全なスポーツ漫画だったら迫力不足感は否めないが、スポーツ題材というテイストなので、それは不問

心理描写は工夫されて良く描かれていた

 

構成力は、やはり全3巻のせいか、不完全燃焼感を禁じ得ない

 

セリフは、少し説明臭くなる時に違和感を感じる

 

オリジナリティーはやはり、テーマとしては一般的であるが、

読みやすくするため、あえてのキャラ構成や媒体(バレー・女子高生)だろうからしょうがない

 

面白さはもっと一人一人に時間を取ってフォーカスを当ててくれさえいれば・・・

やはり全3巻が悔やまれる

 

 

 

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