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ライアン・カブレラがデビューした時は、
男性アイドルならではの
「カッコよさ」だったり「かわいさ」
というのではなく
色香というものを強く感じた
整った顔立ちはもちろん
訴えかけるように見つめてくる瑠璃色の瞳
ギターを奏でる細くて長いしなやかな指
袖からチラリと見える健康的な前腕
そして、なんとも色っぽい歌声
この”True”を発表した当時は
20代前半ながら、醸し出す男の色気と、メジャーデビューして間もない初々しさというものが
絶妙に混ざり合っていて
ライアン・カブレラの天性のアイドル力というのか
実力には度肝を抜かれた
今でこそ年をとってしまったが
デビューしたばかりの頃は「美しいロッカー」と称えらていた
甘いルックスに加え、甘い歌声
アコースティック・ギターを璃々として演奏する姿も美しかった
彼をプロモートしたプロデゥーサー達も有能で
ライアン・カブレラの魅力を十分に伝えてくれた
売り出しのコンセプトも分かりやすく
人気が出るのは当たり前であった
「ライアン・カブレラ」というシンガー・ソングライターは
瞬く間にファンの心を虜にしていった
主役がはっきりしていて
彼の声を魅せるためだけに演奏があるように感じた
この「True」なんかは、特にそのような構成だと思う
余計な演奏・・・彼を遮るものは一切なく
透き通った声からの
少し枯れるセクシーな彼の声の余韻を十分堪能できる
リズムすらギターで打っているし
漏れ出す吐息も耳元で聞こえるようだ
落ち着いたギターから始まり
徐々に盛り上げ
中盤でのギターのアルペジオと彼の声とのダブルアッタクは
キュンキュンします
惚れてまうわっ!
さあ!彼の声に溺れるがいいっ!!
確実に名曲です。是非聴いてみてください
The post True / Ryan Cabrera first appeared on The Reason.]]>MR.BIGのドラマー・パット・トーピーが亡くなったと人づてに聞いた
パーキンソン病を患わっていたことは存じていたが
2018年2月7日にパーキンソン病の合併症により
スポットライトを浴びるステージよりも遥か高く
手の届かないところへと旅立ってしまった
燦燦と輝くスターたちを支え続けた男は
自身、本当に本当のスターになってしまった
亡くなってしまう程、病気が悪かったとは
全く知らなかった
今でも、再結成ライブの時
満面の笑みで観客席に手を振り続けるパット・トーピーの姿が忘れられない
当時、ライブを見ていた自分には
目立ちまくる他のメンバーにはない
ハードロックには似つかわしくないのかもしれないが
安心感を感じた
その笑顔を一目見ただけで
彼は人格者なのだろうな、と思った
一度は空中分解したバンドを
また、一番後ろから支えてくれた
ありがとう。パット・トーピー
仕事に忙殺される日々が続こうとも
思い返すだろう
季節が廻り、老人になったとしても
思い返すだろう
あなたが支え続けたMR.BIG
それは、私の青春の名前
MR.BIGの曲を人に勧めるとしたら・・・
なんでしょうか?
色々ありすぐて、思いつく曲は全部お勧めしたいところですが
一応、今回は
MR.BIGを知らない人にお勧めするなら、どれにするか?という体で進行させていただきます。
まあ、MR.BIGを語るなら
「Daddy,Brother,Lover,Little Boy」とか超絶テクニック満載でMR.BIGらしいし
99%の人が聴いたことがあるであろう最大のヒット曲
「To Be With You」も良いし
日本人なら、まずこれを聴け!
「I Love You Japan」とかもCOOL!
ギタリストがリッチー・コッツェンに代わってからの代表曲
「SHINE」も捨てがたい
でも今回は
パット・トーピーの安定したドラムから始まる
「Take Cover」
この曲を紹介します
とても日本人受けがいい曲で
ドラム、ギター、ベース、ボーカルの”音”がハッキリしてて
万人にお勧めできる曲だと思います
言ってしまえば
ドラムの”音”だけ聴いててもいいし
ベースの”音”だけ聴いててもいいし
ギターの”音”だけ聴いてても、十分に聴きごたえがある曲です
ボーカルの”音”も混ぜ
それぞれ役割の違う”音”が繊細にまとまっています
そもそも
MR.BIGというバンドは
個の技術力が異常に高いバンドなんですよ
オタク気質の多い日本(誉め言葉です)で完全ウエルカム状態で受け入れられたのも納得の
どこか壮大(アメリカ的)でありながらも、こだわりのある繊細(日本的)さを持ち合わせるプロフェッショナル集団なんです
ね?レベル高いでしょ
ずっと見ていられるし
今回は割愛しときますが
ベーシストのビリー・シーンのベースソロなんて
見てるだけでご飯三杯はいけます
始めてビリー・シーンを見た時は
ベースの常識が崩れましたよ、まったく!
ベースってリズムを奏でる楽器
つまり、音色のある打楽器みたいな感じ(右手で実際、ビートを刻む訳ですし)と思っていただければ、ベースを詳しくない人でもわかりますかね
それがビリー・シーンは別次元でしたね
彼の代名詞「四弦達人」!
まさに達人です
ベースはメロディアスである必要が無いという意見もありそうですが
彼のベースのお陰で
曲の広がりというものが一気に出たんだと思います
リズム担当というより重低音担当ですね
ある意味ベースの存在意義を広げて下さいました
ギタリストのポール先生(日本の音楽学校の校長だから)は
よく日本のTVに出てくれてますよね(最近は見ないかな?)
たしか、キンキキッズの番組の「堂本兄弟」のレギュラーじゃなかったっけ?
あと「ヘビメタさん」とか「Rock FUJIYAMA」とか
だから、MR.BIGを知らなくても
もしかしたら、ポール先生はご存知という方もいらっしゃるのかも
大の親日家で
日本に住んでたこともあるし、日本人の奥さんがいて
日本製のギター(アイバニーズ)を使い、日本製のドリル(マキタ)で演奏したり
日本語の曲なんかも作曲してるし
だいぶ、初見様でも親しみ易いんじゃないでしょうか
すいません
だいぶ脱線しましたね
ポール先生や四弦達人ビリーのテクニックがいかに凄いか説明しましたが
「Take Cover」は
ベースとギター二人が前面に出たテクニカルな曲という訳では無いんですよ
かといって、ボーカリストのエリック・マーティンがハイトーン・ボイスを使いまくって目立ちまくる曲でもない
高い技術力を有する4人それぞれが
高次元で互いに補い合ってるバランスのいい曲です
皆、技術があるのに「オレが!オレが!」みたいな主張もなく
皆、程良い!程良い!
ギターが引けば、ベースが出てくる
ベースが引けば、ギターが出てくる
ボーカルが出れば、二人は引く
そして、ドラムも出れる道を三人が用意する
もちろん演奏だけではなく
曲自体が良い曲です
歌詞は
何かに打ちひしがれている内容
「I Wanna Take Cover From You(君から隠れていたいよ)」や
「Save My Soul(僕の魂を救ってくれ)」
という歌詞が何度も繰り返し出てくる少し悲しい曲
曲後半のコーラスは
そんな歌詞と非常にマッチして
適度な盛り上がりを魅せてくれます
構成のおかげで
嘆く悲しい男の背中が
ありありと見えてくるようです
2011年
この曲が発表された時、自分は「斉藤和義」を心配になった
「斉藤和義」は終わってしまうんじゃないかと思った
なぜなら、
こういう時は、触れない事が一番いいから
触らぬ神に祟りなし・・・
称賛はされるだろうが、犬死にするのがオチで
後先を考えなかった愚かな勇者として一線から消えていく・・・
そういう可能性が十分にあると思った
自分の中で斉藤和義さんと言えば
「歌うたいのバラッド」「ウエディング・ソング」「歩いて帰ろう」などなどの優しい、愛に溢れる歌を歌う方。という認識だった
ロックンローラーという認識はまるでなかった
もちろん斉藤和義さんの曲は大好きで
アルバム「黒盤」「白盤」「紅盤」なんて
CDをめっちゃ聴いたし
今も聴くと、若かった頃を思い出す
でも、自分の認識は間違っていた
彼は真のロックンローラーであった
ロックは反抗の音楽
怒りを音楽にのせた叫び
考えなしだろうともいいじゃないか!
自分の心に嘘をつかず、他人の目を気にせず、
熱い衝動をそのままに歌にした
反原発ソング「ずっとウソだった」
福島(風とロック)でこの曲を歌ってくれた時は痺れた
福島と言えば
被害者面してる糞野郎みたいな感じに思われているが
そもそも、福島県自体、広いので県内なのに山を越えるとお隣さんみたいな意識がある
元々
浜・中・会津で県内は三分割になっている
だから、原発がトンだ時、
浜の人以外は他人事に思っていた人も多かったし
可愛そうと思えども
声高らかに何かの所為にしている人を見ると
どうしても快くは思えなかった
そもそも震災直後は他を気にしてるほど余裕はなかった
しかし、浜の人以外も
風評被害が顕著に出てきたあたりから
火の粉が自分らの足を燃やし始めていることに気づいた
みんなそうだろうけど、
震災を機に、人生が大きく変わってしまった
全く違う人生になってしまった
誰の所為と言う訳でもないが、もちろん自分の所為だが
浜の人間ではない自分が
震災や原発の所為にするほど卑怯者にはなれなかった
言い訳を見つけ
言い訳いつからか、安堵を抱くようでは駄目だと思った
複雑な思いから保証金も辞退した
きっと多くの人がそうだったと思う
勿論、直接被害を受け非難を余儀なくされた人たち・・・
今だにゴーストタウンで
家の中から草木が生えてしまっている風景を見ると心が痛む
でも、声を上げて
不満を言える福島の人間はどれほどいたのだろうか?
田舎根性で、社交性に難のある自分たち福島人が
自分の信念からならいいが
声高らかに不満を言う人は数えるほどしかいない
みんな心の奥底にしまって、この気持ちが磨滅していくのをじっと我慢して待っている
そんな時、
斉藤和義さんの「ずっとウソだった」
ホントにかっこいいと思った
斉藤和義さんは
みんなに「NO!」と言えとは強要しなかった
「NO!」と言える人間が代わりに声を出すからいいよ
そう言っているみたいだった
だから、多くの人が
黙って聴いて、涙した
斉藤和義さんご自身のヒット曲である「ずっと好きだった」
こっちの方はアコギ一本ではなく
数人のコーラスもあるし
アコースティック・ギターを始め、エレキ・ギター、オルガン、エレキ・ベース、ドラム等
音に深みのある構成になっている
ギターリフもベーシックというか
昔から聞きなじみのあるもので
甘酸っぱい「ずっと好きだった」の情景と
非常にマッチしていて、初めて聴いた人にも
どこか親近感を持たせるような曲になっていると思う
なのに、「ずっとウソだった」の方は
全く反対の印象だ
ギターはどちらも同じリフなのに
勿論エレキとアコギの違いはありますが
反原発の歌詞を聴かせるためシンプルに
歌詞の邪魔をしない
あえてベーシックなギターリフを使ったという印象になっています
あと、当たり前と言えば当たり前なんですが
「ずっと好きだった」の方は
ちゃんとリズム隊もいるし
「好きだった」って過去形を使うぐらいだし
淡々と「昔」を懐かしんでいる感じなのだが
「ずっとウソだった」の方は
時に荒々しく、時に早口になり、リズムも一定ではなく、
フィーリングが重要視されてて
「今」の感情を歌にぶつけてるんですよね
歌詞が違うだけで
大幅なアレンジが有る訳でもないのに
原曲とこうも対照的な曲に感じさせてくれたのは
斉藤和義さんの技量も勿論ですが、
気持ちが前面に出てたからだと思います
まさにロック!
The post ずっとウソだった / 斉藤和義 first appeared on The Reason.]]>
温度差の違う応援って
逆に「ほっといてくれよっ!」ってなりませんか?
あなたに何が分かるんですか?みたいな
落ち込み具合にもよりますけど
手を引っ張られて
「ほら!ほら!」って言われまくるのって
プレッシャーじゃないですか?
自分のペースでやらせて!って思うし、ゲー出ますよ
でも、無理やり元気を出させようって感じの応援ソングが多いんです
この「POSTIVE」はそこまでの応援は、いらにゃい!って時に聞いて欲しい曲です
ちょっとだけ背中を押してくれます
応援の具合も同じ目線でいてくれるから”優しさ”を感じずにはいられません
一貫して
ちょうど足でリズムが取りやす~い
“うん、たん、うん、たん”のリズムだから
徐々に”のって”来ちゃうんです
嫌な気持ちが薄れて
まさに”POSITIVE”になってきます
メロディーも複雑ではなく
主に狭い音域で構成されてるので、口ずさみやすいんですよね
リズムがシャッフルビートとかでもないのに
独特なリズムに感じるのは
「っ」・・・促音というか小さい「っ」の多用が小気味よいリズムを与えていると思うんです
サビのワンフレーズ内にある
「ちょっと」「なってよ」「きっと」「発展(はってん)」
なんて同じリズムで出てくるもんだから計算して歌詞を書いてるのかなぁと感心しちゃいます
歌詞で言ったら、あと
唯一、半濁音の入ってる「POSITIVE」
音的にひっかかるため人の印象に残りやすい半濁音を
良いアクセントに使ってますよね
盛り上がる前の合図になってます
リズミカルな歌詞とでも言いましょうか、素晴らしいです
そんな歌詞をDream Amiさんが歌ったてのもいいですよね
ぽんっと背中を押してくれるような歌詞に
声質が合ってたと思います
これがべらぼうに歌唱力が高い方や、複数人のアイドルグループにバカ元気に歌われてたら
こっちが一歩引いちゃう歌になってましたよね
是非皆さん、この曲を聴いて
「POSITIVE」になりましょう!
The post POSITIVE feat. Dream Ami / tofubeats first appeared on The Reason.]]>
日本じゃ嘉門達夫さんの「鼻から牛乳」 のおかげで?
この「トッカータとフーガ」を聴くと日本人は
ㇷ゚プっ クスっ
っとなるんだけど
怒涛の超技法難曲が始まる合図なんですよ!
笑ってる場合じゃねぇ!
胸を高鳴らせろ!
一音も聞き逃すな!しかと傾聴せよ!
自分はJ.S.バッハの曲は皆 好きなんだけど
嫌いな人って、そうそういないと思うんだよね
日本じゃ、結構な頻度でゲームやテレビなんかからバッハ風の曲って流れてくるし
聴きなじみがあるというか
J.S.バッハの曲って学校の教科書みたいに”基本”が詰まってるって感じ
自分の中のイメージでは
モーツァルトやベートーヴェンは”天才”
J.S.バッハは”秀才”ってイメージかな
J.S.バッハの曲は聴いてると
閃きで作曲してる感じじゃなくて
確かな音楽技法と知識の過程から生み出された音楽だと思うんだよね
J.S.バッハの規則正しい音楽の中には
一つのミスも許されないような緻密な設計図が組み込まれてるんじゃないかって思うよ
(実際、使える音階を制限したり、音楽理論を研究、発展させ
計算しながら作曲していた)
それもそのはず
音楽家計に生まれ
音楽と宗教に深い愛を持って接し続けた彼の人生は
ホントに生まれてから死ぬまで音楽と信仰に向き合い
先祖たちの精錬された音楽ノウハウを受け継いで
弛まぬ努力の果てに
名曲を後世に残してきた
だからなのか
J.S.バッハの曲は
天才が
“創り挙げた”曲
という感じじゃなく
神に捧げた音楽、神の為
“造り上げた”曲
という感じが自分の中にあるんですよね
彼の曲からはやはり
音楽に対しての真摯さが伝わってきます
じゃあ、分かりやすいバッハ作曲の
宗教曲を紹介しろって話なんでしょうけどね・・・
僕ぁ 声高らかに
バッハの代表曲が
ちゃらり~鼻から牛~乳~
ではないと言いたい
そもそも鼻から牛乳は嘉門達夫さんの代表曲ですやん
これを機にちゃんと「トッカータとフーガ」を聴いてほしかった・・・
「トッカータとフーガ」って曲名は実は音楽形式の名称なんですよ
意味的には非常に早く技巧的で
音楽理論を元に
主のメロディーと
それを模した色んなヴァージョンのメロディーで彩った遁走曲でっせ
という意味です
かみ砕いたらこんな感じ?かな
BWV(べーぶぇーふぉあ)
Bach Werke Verzeichnis(バッハ・ヴェルケ・フェアツァイヒニス)
日本語に直すと
「バッハ作品主題目録」
つまりBWV565の意味は
バッハ作曲で
作品番号565番のオルガン曲
っていう意味
ちなみにBWVはジャンル分けされていて
525から771はオルガン曲です
バッハは言った
「私はよく研究しました。同じくらい熱心にやれば、誰でも私のようにできるでしょう」
素晴らしい!なんというか努力家の発言って感じっすよね
音楽研究に対する功績といったらもう
ほんとバッハ様様ですよ
教育者としても有能だったらしいですからね
宮廷楽長だった事もあるし、生徒の為の練習曲として作曲した物も多々あるんですよ
でも音楽に対しての情熱が強すぎて
結構指導は厳しかったみたい
怒った生徒から殴り掛かられたこともあったとか
市参事会と対立する事も
今でこそ
バッハというと「作曲家」という扱いだが
作曲家としての評価はバッハの死後なんですよね
バッハは生前、
それこそオルガニストや教育者として有名だった
オルガニストとしては
多くの逸話が残されており
神童と謳われたルイ・マルシャンと対戦することになった時
バッハの演奏技術に恐れをなしマルシャンは対戦当日に逃げてしまったとかなんとか
バッハ自身も自分の事は
「作曲家」ではなく「教育者」つまり、音楽によって神の摂理を伝える神の仲介者だと自負していた
最初に
自分が
クラシック音楽というのを認識したのが
小学生になったばかりの頃で
体育館の中で演奏されていたバッハの曲だった
あの頃の自分には
音楽という物を知らず
自分から音楽を聴くという習慣もなかった
学校の行事で強制的に聴かされた音楽だったが
えらく感動したのを今でも覚えている
聴いたその日の内に
いてもたってもいられなくて
体育館で聴いた音楽の入ってるCDを探しに
自転車を濃いで遠出をした
まあ、遠出と言っても小学低学年にとってはだが
あの頃は
CDショップの存在も知らなかったので
前に家族とホームセンターで買い物をしていた時に
ワゴンの中にCDが沢山おいてあるのを見ていたので
とりあえずホームセンターに向かった
今思うと、ほんとアホだが
その時はバッハのCDを買いに行ったのに
「バッハ」という名前を知らなかった
一枚一枚違うCDに衝撃を受けたものだ・・・
こんなにあるのかよって
しかも、体育館で聴いた曲の題名を調べる術も無い
それに何枚もCDを買うお金も無い
とりあえず
1,000円ぐらいの
クラシックっぽいジャケットのCDをワゴンの中から探して買ったのだった
完全に博打
ホントにアホな小学生だ
しかし、ワーグナーのワルキューレの騎行だった
その時思った
え、違くね?
そりょうそうさ、バッハの厳かな雰囲気で
ペダルトーンの繰り返しに惚れ惚れしていたのに
”ワルキューレの騎行”って楽劇じゃーん!
激しいじゃーん!
かすりもしなかったよね
曲調・・・
地獄の黙示録でワルキューレの騎行じゃなくバッハが流れてたら
違和感しかないよね
クラシックっちゃあクラシックだけど
つまり真逆のCDを引き当てたんだよね
ま、ワーグナーも悪くないけどね
ちなみに何年後かに
体育館で聴いた曲は
「小フーガ ト短調」だと知った・・・
じゃあ、「トッカータとフーガ」じゃのうて
「小フーガ ト短調」を紹介しろって話だよね
いいじゃないか
「トッカータとフーガ」のヘッドバンするぐらい激しくて
後半になるにつれて
「来るぞっ!」て感じの繰り返しの構成がエクスタシーなのだよ
話戻るけど
音楽理論を少し分かってから
「トッカータとフーガ」を聴くと、また違った美しさを感じる事ができると思います
是非、BGMとして聞き流すのではなく
一音一音、彼の計算された音楽を考えながら聞いてみてほしい
それもまた一興だと思います
The post Toccata and Fuga BWV 565/ Johann Sebastian Bach first appeared on The Reason.]]>
もはや、今更「中島美嘉」については記述はいらないと思うが、作詞・作曲を担当したamazarashiの「秋田ひろむ」はどうだろう
音楽通なら、なかなか名が通った方なので知っているかもしれないが
代表曲というと、タイアップ曲なんかあるかどうか分からないし(一応タイアップ曲は存在する)、
ランキングで一位の曲はあったかどうか・・・というところで首をかしげてしまう
だが、amazarashiの創る世界観はもっと世間に知られ評価されて然るべきである
もちろん、そういう歌手たちは大勢いるのだろうが・・・
メディアの影響というものも現代の音楽からは切っても切り離せない
そういった意味では、このシングル曲「僕が死のうと思ったのは」は、中島美嘉というビッグネームと共演
amazarashiとしては、世間に対して良いアプローチになったんじゃないかと思うが
ランキングの最高位が17位というのは少し物足りなさもあった
”秋田ひろむ”と”中島美嘉”の世界観がマッチしていただけに惜しいと思った
まあ「僕が死のうと思ったのは」は中島サイドからの依頼で誕生した曲という事で、中島の世界観がマッチする人を選んではいるのだろうが、
よく言えば世界観がマッチしすぎていた
悪く言えば
当時40枚弱のシングルを出し、確立している中島美嘉の世界観からは逸脱することは無かった
つまり、マッチしすぎてギャップが無く話題性には欠乏していたように思う
人間、普通に生きていれば「死にたい」と思うことは、あるんじゃないかと思う
それは、大なり小なり人それぞれで
そう思う事は自分の心が弱いからと恥ずべき事ではないと思う
人によって周りの社会への捉え方は、ばらつきがあるし
他の人が平気な事でも、自分にはどうしようもなく耐えがたい事だってある
もちろん、「死にたい」と思っている人の事を
心のバランスなど精神状態の悪さからと蔑む人もいる
心なんて他人に見えるものではないし
他人には理解されにくいばかりに
己の弱さを嘆いたり、神様の所為にしてしまう
この曲は、その他人に自分の心を弱く見られそうな「死にたい」と思う事を
カミングアウトしている
大勢の人が「死にたい」と思う事に対して悪いイメージがあるのに
その事を自己開示・・・さらけ出してくれた
それが聴き手にはうれしさだったり、仲間意識のような気持ちにさせてくれる
また、聴き手との距離感を大事にしてる中島美嘉さんが
この曲をささやくように歌い始めてくれてるおかげで
自分だけに秘密を打ち明けてくれてるような錯覚をもたらしてくれている
この曲は自分の人生を卑下し絶望して
「僕が死のうと思ったのは」
ではない
曲の大半は自分が「死のう」と思った時の情景を淡々と語る感じなだが
その、あまり主観的ではない表現に
自分の事を重ねやすく、一層、この曲に感情移入しやすくなっている
ずっと一貫して一人称の語り口調のおかげで
隣に座って自分を元気づけようととしているように
そう、最終的な印象では応援ソングのような力強さを感じさせる
曲自体は6分を超える長さだが
丁寧な曲展開、丁寧な詞表現に
全く間延びした印象もなく
逆にこの曲・・・というか、
もっともっと、この人の「話」を聴いていたい、と思わせてくれる
この歌は最終的に
「死のう」と思う事は
真面目で優しい人だからだと言っているみたいだ
自分を全く否定しない愛溢れるこの曲は
とても暖かい温もりを感じさせるのである
The post 僕が死のうと思ったのは / 中島美嘉 first appeared on The Reason.]]>
それは透明だった
自分の染まり切った価値観・何物にも染まらないと思っていた価値観に
彼らはすっと浸み込んできた
人の心の隙間を満たしてしまう
隙間・・・空いてたんだな・・・
気づかぬ内に彼らの虜にさせられていた
キーンが全英1位を取った頃
自分はキーンを聴かずにアンチだった
なぜなら、理由は単純明快
ギターレスバンドだから
ギターに青春を捧げ、ギターを愛してきた自分にとっては、たまらなく不愉快だった
確か、ちゃんとキーンの楽曲を聴いたのは、暫く経過した時だったと思う
キーンが人気を博し始めた2000年代は、
オルタナティブ(取って代わる)という言葉が薄れて聞こえるほど
ロックは最期をあがくことも出来ない程、緩やかに力尽きていったと思う
あの頃は、もうロックは出し尽くされ過ぎていて
色んな可能性を模索する中、デジタル音楽の波にも重なって
足し算の音楽だった
今、思えばあそこまで「Keane」が受け入れられたのは、
そんな時代に対するアンチテーゼだったのかもしれない
リズムを打つドラムは、単体で聞くなら音の軽さを感じるのだろうが
透き通ったメロディーを際立たせる役割を担っている
キーボードも余計な遊びなどは全くなく、シンプルでいて精錬されたイメージを持たしてくれる
ボーカルはどこまでも透き通っていて情緒的だ
唯一無二、いや、真似たくても真似できない頂にいるとさえ感じさせる
そもそも、シンプルになればシンプルになるほど、ごまかしが効かない
だからなのか、ダイレクトに感情に訴えかけてくる
そもそもBedshapedとは何なのだろう
英語に明るくないので、よくは分からないのだが、
bed=ベッド、shaped=形
直訳すればベッドの形
なんだそれは
さっぱりだ
曲の雰囲気とMV、前後の歌詞から
悲しめの曲なのかなと思うけど
まあ、詳しくは分からない
bedshapedの印象としては、悲しそうな印象はあるものの
暗さというのは、あまり感じない
どこまでいっても爽やかで
悲しみの中にも、希望があるような感じにも伝わってくる
まあ、気になる方は是非聴いてください
The post Bedshaped / Keane first appeared on The Reason.]]>
初めてこの「Black Star」を聴いた時は、何歳の時だったろうか
TVから大量消費されてくる音楽に辟易し、当時は世間の求めている音楽に嫌気がさし
いつも、耳を塞いでいた
今、思えば、消費されていく音楽の役割というのも十分に理解できるし、飽きるまで流すメディアの戦術というのも
徐々に見えてはきている
ただ、当時は
自分の否定する音楽がはびこっている
世間はみんな同じ音楽しか聴かない
もう、駄目だ。自分がぬるい音楽に犯されていく
そんな恐怖心があった
あの時の自分は音楽に対する情熱が有り余りすぎて、周りが見えなくなっていたのも事実だが
音楽に対して、世間は真摯的ではないと思っていた
理論も情熱も感じさせず中身の無い音楽に群がる民衆は
まるで王を失った国家のようだった
みんな支持する者が分からないまま
「あれがいい、これがいい」
の言葉に踊らされていた
そして、自分も支持する王がいないまま
ゆるやかに世間に迎合していくと思っていた
しかし
偶然聞いた一曲が
自分の心臓を撃ち抜いてしまった
衝撃
ただただ衝撃・・・
今のメジャーシーンを否定するような音楽
痺れた・・・
その曲こそ
その日から、やっと
空いた玉座には
凛とした姿の王が現れたのだった
というジャンルが、やはりイングヴェイの代名詞になってくるのではないかと思う
聞きなじみの無い方も多いと思うのだが、
ネオクラシカルとは
簡単に説明してしまえばクラシックをメタル化したもの
メタルというと嫌悪感を持つ人も、なぜか多いのだが
クラシックの様式を踏まえながらも、高度な技術で演奏する様は完成されており
楽譜は理論道理に音符が並び、そのただずまいは美しい
確かな技術と理論によって構築されたジャンルであり一聴の価値はある
この「Black Star」については、
イングヴェイのファーストアルバムの曲だけあって
ネオクラシカル感は少ないが
静から動
動から静はクラシックを彷彿させる
チョーキングの多用などはロック的なのだが、一音一音の高低が波のように流れる様はクラシック的でもある
イングヴェイは後々に
技術に頼りすぎてフィーリングが無いと揶揄される様になるのだが
だとしても、新たなクラシック音楽を開拓したイングヴェイの功績は大きい
美しく高度な技術で魅了し続ける王者・イングヴェイの名曲
「Black Star」
是非 聴いてもらいたい一曲である
The post Black Star / Yngwie Malmsteen first appeared on The Reason.]]>