ずっとウソだった / 斉藤和義

これぞロックンロール

Embed from Getty Images

2011年
この曲が発表された時、自分は「斉藤和義」を心配になった
「斉藤和義」は終わってしまうんじゃないかと思った
なぜなら、
こういう時は、触れない事が一番いいから
触らぬ神に祟りなし・・・
称賛はされるだろうが、犬死にするのがオチで
後先を考えなかった愚かな勇者として一線から消えていく・・・
そういう可能性が十分にあると思った

自分の中で斉藤和義さんと言えば
「歌うたいのバラッド」「ウエディング・ソング」「歩いて帰ろう」などなどの優しい、愛に溢れる歌を歌う方。という認識だった

ロックンローラーという認識はまるでなかった
もちろん斉藤和義さんの曲は大好きで
アルバム「黒盤」「白盤」「紅盤」なんて
CDをめっちゃ聴いたし
今も聴くと、若かった頃を思い出す

でも、自分の認識は間違っていた
彼は真のロックンローラーであった
ロックは反抗の音楽
怒りを音楽にのせた叫び

考えなしだろうともいいじゃないか!
自分の心に嘘をつかず、他人の目を気にせず、
熱い衝動をそのままに歌にした
反原発ソング「ずっとウソだった」
福島(風とロック)でこの曲を歌ってくれた時は痺れた

 

今でこそ

福島と言えば
被害者面してる糞野郎みたいな感じに思われているが

そもそも、福島県自体、広いので県内なのに山を越えるとお隣さんみたいな意識がある

元々
浜・中・会津で県内は三分割になっている

だから、原発がトンだ時、
浜の人以外は他人事に思っていた人も多かったし
可愛そうと思えども
声高らかに何かの所為にしている人を見ると
どうしても快くは思えなかった

そもそも震災直後は他を気にしてるほど余裕はなかった

しかし、浜の人以外も
風評被害が顕著に出てきたあたりから
火の粉が自分らの足を燃やし始めていることに気づいた

みんなそうだろうけど、
震災を機に、人生が大きく変わってしまった
全く違う人生になってしまった
誰の所為と言う訳でもないが、もちろん自分の所為だが
浜の人間ではない自分が
震災や原発の所為にするほど卑怯者にはなれなかった
言い訳を見つけ
言い訳いつからか、安堵を抱くようでは駄目だと思った
複雑な思いから保証金も辞退した

きっと多くの人がそうだったと思う
勿論、直接被害を受け非難を余儀なくされた人たち・・・
今だにゴーストタウンで
家の中から草木が生えてしまっている風景を見ると心が痛む
でも、声を上げて
不満を言える福島の人間はどれほどいたのだろうか?

田舎根性で、社交性に難のある自分たち福島人が
自分の信念からならいいが
声高らかに不満を言う人は数えるほどしかいない

みんな心の奥底にしまって、この気持ちが磨滅していくのをじっと我慢して待っている

そんな時、
斉藤和義さんの「ずっとウソだった」

ホントにかっこいいと思った
斉藤和義さんは
みんなに「NO!」と言えとは強要しなかった

「NO!」と言える人間が代わりに声を出すからいいよ
そう言っているみたいだった

だから、多くの人が
黙って聴いて、涙した

 

 

原曲は

斉藤和義さんご自身のヒット曲である「ずっと好きだった」
こっちの方はアコギ一本ではなく
数人のコーラスもあるし
アコースティック・ギターを始め、エレキ・ギター、オルガン、エレキ・ベース、ドラム等
音に深みのある構成になっている

ギターリフもベーシックというか
昔から聞きなじみのあるもので
甘酸っぱい「ずっと好きだった」の情景と
非常にマッチしていて、初めて聴いた人にも
どこか親近感を持たせるような曲になっていると思う

なのに、「ずっとウソだった」の方は
全く反対の印象だ

ギターはどちらも同じリフなのに
勿論エレキとアコギの違いはありますが
反原発の歌詞を聴かせるためシンプルに

歌詞の邪魔をしない
あえてベーシックなギターリフを使ったという印象になっています

あと、当たり前と言えば当たり前なんですが
「ずっと好きだった」の方は
ちゃんとリズム隊もいるし
「好きだった」って過去形を使うぐらいだし
淡々と「昔」を懐かしんでいる感じなのだが

「ずっとウソだった」の方は
時に荒々しく、時に早口になり、リズムも一定ではなく、
フィーリングが重要視されてて
「今」の感情を歌にぶつけてるんですよね

歌詞が違うだけで
大幅なアレンジが有る訳でもないのに
原曲とこうも対照的な曲に感じさせてくれたのは
斉藤和義さんの技量も勿論ですが、
気持ちが前面に出てたからだと思います

まさにロック!

 


Also published on Medium.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です