僕が死のうと思ったのは / 中島美嘉

二人の世界観の調和

 

もはや、今更「中島美嘉」については記述はいらないと思うが、作詞・作曲を担当したamazarashiの「秋田ひろむ」はどうだろう
音楽通なら、なかなか名が通った方なので知っているかもしれないが
代表曲というと、タイアップ曲なんかあるかどうか分からないし(一応タイアップ曲は存在する)、
ランキングで一位の曲はあったかどうか・・・というところで首をかしげてしまう

だが、amazarashiの創る世界観はもっと世間に知られ評価されて然るべきである
もちろん、そういう歌手たちは大勢いるのだろうが・・・
メディアの影響というものも現代の音楽からは切っても切り離せない
そういった意味では、このシングル曲「僕が死のうと思ったのは」は、中島美嘉というビッグネームと共演
amazarashiとしては、世間に対して良いアプローチになったんじゃないかと思うが
ランキングの最高位が17位というのは少し物足りなさもあった
”秋田ひろむ”と”中島美嘉”の世界観がマッチしていただけに惜しいと思った

まあ「僕が死のうと思ったのは」は中島サイドからの依頼で誕生した曲という事で、中島の世界観がマッチする人を選んではいるのだろうが、
よく言えば世界観がマッチしすぎていた
悪く言えば
当時40枚弱のシングルを出し、確立している中島美嘉の世界観からは逸脱することは無かった
つまり、マッチしすぎてギャップが無く話題性には欠乏していたように思う

カミングアウトという切り出し方

 

 

人間、普通に生きていれば「死にたい」と思うことは、あるんじゃないかと思う
それは、大なり小なり人それぞれで
そう思う事は自分の心が弱いからと恥ずべき事ではないと思う

人によって周りの社会への捉え方は、ばらつきがあるし
他の人が平気な事でも、自分にはどうしようもなく耐えがたい事だってある

もちろん、「死にたい」と思っている人の事を
心のバランスなど精神状態の悪さからと蔑む人もいる
心なんて他人に見えるものではないし
他人には理解されにくいばかりに
己の弱さを嘆いたり、神様の所為にしてしまう

この曲は、その他人に自分の心を弱く見られそうな「死にたい」と思う事を
カミングアウトしている

大勢の人が「死にたい」と思う事に対して悪いイメージがあるのに
その事を自己開示・・・さらけ出してくれた
それが聴き手にはうれしさだったり、仲間意識のような気持ちにさせてくれる

また、聴き手との距離感を大事にしてる中島美嘉さんが
この曲をささやくように歌い始めてくれてるおかげで

自分だけに秘密を打ち明けてくれてるような錯覚をもたらしてくれている

 

 

情景をリアルに見せてくれる表現

 

この曲は自分の人生を卑下し絶望して

「僕が死のうと思ったのは」

ではない

曲の大半は自分が「死のう」と思った時の情景を淡々と語る感じなだが
その、あまり主観的ではない表現に
自分の事を重ねやすく、一層、この曲に感情移入しやすくなっている

ずっと一貫して一人称の語り口調のおかげで
隣に座って自分を元気づけようととしているように
そう、最終的な印象では応援ソングのような力強さを感じさせる

曲自体は6分を超える長さだが
丁寧な曲展開、丁寧な詞表現に
全く間延びした印象もなく
逆にこの曲・・・というか、
もっともっと、この人の「話」を聴いていたい、と思わせてくれる

この歌は最終的に
「死のう」と思う事は
真面目で優しい人だからだと言っているみたいだ

自分を全く否定しない愛溢れるこの曲は
とても暖かい温もりを感じさせるのである

 


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